社会への提言
どこまでがセクハラか?ソフトローで決めよう『セクハラやじ』
「早く結婚したほうがいいんじゃないか」「子供を産めないのか」というわずか数秒のヤジが、あっという間に、ネットを通じて、国内ばかりか、全世界に広がり、何倍もの非難が押し寄せてきました。ネットのない時代は、島国の閉鎖社会では、男性上位でいられました。しかし、もはや時代が大きく変わり、新しい幕開けが来ました。鎖国を続けられないということです。欧米では、人種差別の撤廃が徐々に進むにつれて、女性差別の禁止も進みました。最近では、プロバスケットボールのオーナーの発言がRacism(人種差別)だとの理由で、本人は罰金2億円、競技団体からの除名とされました。今まで欧米では裁判で多額の賠償金が課せられてきたから当然の結果といえます。日本では、裁判などで制裁されなくても、欧米からネットで批判され、同じような結果となります。映画「リンカーン」で、奴隷解放について「すぐに完全な形での“神の下での平等”を主張するな」、「一定の差別を許す“法の下の平等”でよいのだ」との場面があります。奴隷を鎖で繋がないが、選挙権を与えない、つまり当時の女性と同じ扱いでよいというものでした。しかし、欧米では、その後少しずつ「神の下の平等」に近づける不断の努力を続けてきたのです。日本でも女性の地位は向上しつつありますが、欧米では環境整備を含め、さらに先に行っているのです。つまり欧米の人々は、自分たちの努力の成果を当たり前のように主張します。そして、その対象が人権であるなら、我々は嫌々ではなく喜んで受け入れる必要があります。