平和への想い ―ピカソのゲルニカ―
イスラエルとハマスの戦争がはじまり、世界的に不穏な状況となってしまいました。私も皆様と同様に、不安な感覚を抱きつつあります。タイミング良く、原田マハ著の小説「暗幕のゲルニカ」を読みました。何と、ピカソが戦争の悲惨さを端的に絵画で表したことを改めて知らされました。パブロ・ピカソは、マラガに生まれ、美術教師の父より英才教育を受けました。中学からバルセロナの美術学校で学び、順調に天才といわれる画家となりました。それ故、戦争体験もなく、極貧にあえいだ人生でもなく、画家としての特別な動機や人生があったわけではありません。また、政治的な活動をしていたわけでもありません。しかし、1937年、パリにいたピカソの下に、ナチスがスペインの山村のゲルニカを空襲し、多数の人々が殺されたと衝撃の報道が届きました。ゲルニカは、フランスとの国境の近くであり、その後、バルセロナも空襲されました。ピカソは憤然として、大きな壁画にゲルニカの惨劇を一気に描き上げました。パリ万博にて、ドイツ館とイタリア館の隣のスペイン館に展示されました。ナチスは当時、前衛芸術を退廃芸術として禁止し始めていました。そしてナチスがパリに侵入する状況になってきました。そこで、ゲルニカは、ナチスから逃れるため、北欧など多くの国の展示を経て、その後ニューヨークの近代美術館にて大切に展示されました。ゲルニカの悲劇だけではない、繰り返される戦争の悲惨さを深く示すものとして、歴史上最も影響力のあるアート作品とされるようになりました。国連安保理のロビーにも、ゲルニカのタペストリーが置かれ、その前で記者会見が行われてきました。そして、ピカソは、ゲルニカを逃したにも関わらず、ナチスのパリ侵入後も、自分はパリに留まりました。関係者からフランスを脱出するよう強く勧められましたが、これを拒み、終戦まで残りました。ピカソは、命を懸けて、抵抗の精神を人々に示したに違いありません。このように、ピカソは、人類の醜さに自ら巻き込まれる中で、これに抗うように、平和の象徴である鳩の綺麗な絵を多く残して逝きました。世界中で観光客が行き交う状況になった今、美術館では、是非ピカソの想いを浮かべて頂き、またその他にも、人々の労苦を描く多くの絵画をご覧いただくことを祈念します。