ウズベキスタン交流記(2) ―グローバリゼーションか、鎖国か?―
ウズベキスタンは中東にあり、日本は極東にあります。これは、英国からみた名付け
方です。トルコなどは近東になります。そこでウズベキスタンは、西側から、アレキサン
ダー大王やオスマン帝国に攻められ、東側から、ジンギスカン大王や中国に蹂躙されまし
た。モンゴル帝国から独立を果たしたのは、ティムール大王であり、広場には大きな像が
立っています。しかし、その後帝政ロシアに征服され、ソ連邦に所属させられます。よう
やく、30年前に、平和的に独立し、長い歴史の中で初めて安住の世を迎えました。これ
に比べ、日本は何と長いこと、他民族に征服されなかったか、その偶然的幸運を感ぜざる
をえません。島国であるとはいかに安全で、どれほど海の幸に恵まれているかと再認識し
ました。二度の元寇を台風が防いだのも、強運でした。
そして、有名な古都のサマルカンドを見学しました。綺麗で大きなモスクが建てられて
います。かつては、何千人ものひとが、その中でお祈りをしていたそうです。長い間のシ
ルクロードの中心地として繁栄してきました。シルクロードのちょうど真ん中あたりにな
ります。東から、絹、紙、火薬が運ばれ、西からは金、毛皮、ガラスが運ばれました。残
念ながら、民族の移動や交易の拡大により、ペストやコレラなどの感染症も広まることに
なりました。日本では、独眼竜の伊達政宗に天然痘がみられたものの、ペストなどは、江
戸時代の鎖国により、一切遮断できました。島国における鎖国政策とは、外敵を防ぐだけ
ではなく、感染症対策として、大変効果があったと強く推測されます。その証拠には、明
治時代の開国により、ペストが初めてあらわれました。その後も、鎖国には戻ることはで
きませんでした。テレビでも、渋沢栄一の妻がコレラで亡くなった場面が印象的でした。
また、私にとっては、妻の祖父の医師が患者とともに、若くしてスペイン風邪で殉死した
例もあります。新型コロナウイルスと戦う医療従事者の皆様に思いを馳せながら、極端な
グローバリゼーションを修正して、鎖国ではないものの、半開きが良いと感じております
。